こぎん刺し2
「こぎん刺しができないと嫁の貰い手がない」
と言われた程、津軽の女性たちにとっては重要な能力の一つでした。
女性たちは少女の頃からこぎん刺しに励んでいたのです。
しかし、明治に入り四民平等により衣服の規制がなくなりました。
また、鉄道の普及などにより寒い北国でも
木綿が簡単に手に入るようになってから
こぎん刺しは急速に廃れていきました。
もう一度こぎん刺しが脚光を浴びたのは
今から90年程前の民芸運動の時。
民芸運動を引率した柳宗悦は
「名もない津軽の女達よ、よくこれほどのものを遺してくれた」
*昭和7年「工芸」より
と、こぎん刺しを絶賛したのです。
と言われた程、津軽の女性たちにとっては重要な能力の一つでした。
女性たちは少女の頃からこぎん刺しに励んでいたのです。
しかし、明治に入り四民平等により衣服の規制がなくなりました。
また、鉄道の普及などにより寒い北国でも
木綿が簡単に手に入るようになってから
こぎん刺しは急速に廃れていきました。
もう一度こぎん刺しが脚光を浴びたのは
今から90年程前の民芸運動の時。
民芸運動を引率した柳宗悦は
「名もない津軽の女達よ、よくこれほどのものを遺してくれた」
*昭和7年「工芸」より
と、こぎん刺しを絶賛したのです。
by askagoi
| 2014-02-07 18:43
| 日々
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